5 金色夜叉/金色夜叉

5 金色夜叉/こんじきしゃ

尾崎红叶

【作品梗概】

间贯一自幼父母双亡。他在第一高中读书时寄宿在曾得到父亲恩惠的鸭泽隆三家。鸭泽的女儿阿宫绮年玉貌,和贯一订了婚。可是,在一次新年纸牌会上,腰缠万贯的富豪富山唯继对阿宫一见钟情。鸭泽夫妇利令智昏,见财忘义,阿宫也接受了富山的求婚。贯一知情后怎么也不信阿宫会变心,他尾随阿宫,一直追到热海,在洒满银色月光的海岸边面对大海流下热泪,他恳求阿宫回心转意,但未能遂愿。贯一发誓:“我的泪水定会使明年此时此刻的月亮失去光辉!”他愤然踢倒阿宫离去。四年以后,失恋后深感绝望的贯一当上了高利贷者鳄渊直行的代理人,他以无情地收取高利贷的方法来向社会报复,然而,心中的苦闷并未因此得到减轻。再说阿宫婚后方知自己爱贯一其实爱得很深,良心受到谴责,同样陷入了苦恼之中。她写信给贯一,请求他宽恕,贯一却对她不屑一顾。之后,招人怨恨的贯一遭到袭击,鳄渊家也被人放火烧成灰烬。女高利贷者赤樫满枝又倾心于贯一,但他没有理会。一次,贯一梦见阿宫和赤樫发生冲突,阿宫为了求得他的宽恕,请求贯一允许她自杀,他原谅了她,对自己迄今为止的所作所为亦有所悔悟。做过这个梦后,贯一在盐原救下一对殉情的男女青年,从那个叫阿静的艺妓口中了解到富山的残忍和阿宫婚后的不幸遭遇,终于同情起阿宫来,过去,他对阿宫的来信一概弃之不阅,现在,他认真地读了。

【作品鉴赏】

《金色夜叉》这一恋爱悲剧,曾使不少日本读者为之洒下同情的眼泪,它成了明治时代日本家喻户晓的代表性名作。几十年来,一次又一次地被改编成戏剧、电影和广播剧上演,受到民众的喜爱。

中日甲午战争后,作者的一些年轻弟子在文坛上异常活跃,而红叶本人在创作上却一度一蹶不振,人们断言红叶已老,从此写不出什么好作品。可是,他就在晚年,连续发表了《多情多恨》(1896)和毕生的大作《金色夜叉》(1897—1903)。

作者在谈到这部作品的创作意图时说,他想通过贯一这个人物具体表现人生中的两大势力爱情和金钱的抗争,还想通过阿宫写出明治时代新女性的形象。作者的前一个意图在作品中得到了较充分的体现,小说告诉读者,金钱的力量是一时的,而爱情的力量才是永恒的。后一个意图由于作者辞世,作品中断而没能得到较好的体现。阿宫在作品中始终处于不能自由决定自己命运的受欺压状态,最终成了一个受人怜悯的悲剧人物。尽管这部作品在构思上存在不少破绽,作者还无法正确挖掘金钱主宰一切的资本主义社会的本质,尚未完全摆脱言情小说的羁绊,但是,比起作者其他一些言情小说来,本作品在较大范围内反映社会生活及其矛盾方面显然进了一步,因此,对这部明治时代最畅销的书还应作出肯定的评价。

在艺术上,作者特别注意文章本身的表现技巧,在这方面下了不少苦功,他用汉和相间的文体精心写作,文句光彩艳丽,历历如绘。

这部因作者去世而尚未写完的小说,后来由其弟子小栗风叶续写。据说,作者原来打算让阿宫带着富山的财产与贯一结合,而小栗风叶写阿宫最后精神失常,使故事成为一个地道的悲剧。这一创造性的续作也获得好评。

选文[1]

みやはわれをてたるよ。われわがつまひとうばはれたるよ。わがいのちにもへていとをしみしひとあくたごとくわれをにくめるよ。うらみかれほねてっし、いかりかれむねつんざきて、ほとほとわすれたるかんいちは、あはれかん[2]にくくらひて、このねっちょうさまさんともおもへり。たちまかれのうけんとするをおぼえて、つうへずしてしりにたふれたり。

みやるよりおどろいとまもあらず、もろともすなまびれていだけば、じたるまなこよりはふりつるなみだひたれるはいいろほおを、つきひかりかなしげに彷徨さまよひて、せまれるいきすさましなみむねひびきをつたふ。みやかれしろよりとりすがり、いだきめ、ゆりうごかして、をののこえはげませば、はげまこえはさらにをののきぬ。

「どうして、かんいちさん、どうしたのよう!」

かんいちちからげにみやれり。みやなみだよごれたるおとこかおをいとねんごろぬぐひたり。

ああみやさんかうして二人ふたりいっしょるのもこんぎりだ。おまえぼくかいほうをしてくれるのもこんぎり、ぼくがおまえものふのもこんぎりだよ。いちがつじゅうしちにちみやさん、おぼえておき。らいねんこんげつこんは、かんいちでこのつきるのだか!らいねんこんげつこんじゅうねんのちこんげつこんは…いっしょうとおしてぼくこんげつこんわすれん、わすれるものか、んでもぼくわすれんよ!いか、みやさん、いちがつじゅうしちにちだ。らいねんこんげつこんになつたならば、ぼくなみだかならつきくもらしてせるから、つきが…つきが…つきが…くもつたらば、みいさん、かんいちかでおまえうらんで、こんのやうにいているとおもうつてくれ」

みやひしぐばかりにかんいちとりきて、ものぐるはしむせびりぬ。

「そんなかなしいことをいはずに、ねえかんいちさん、わたしかんがえたことがあるのだから、それははらたう[3]けれど、どうぞかんにんして、すこしんぼうしてゐてくださいな。わたしはおなかなかにはひたいことがたくさんあるのだけれど、あんまいひにくいことばかりだから、くちへはさないけれど、たつたひとこといひたいのは、わたしはあなたのことわすれはしないわ——わたししょうがいわすれはしないわ」

【选文注释】

[1]本段引自《金色夜叉》前编第八章,是整部小说中最脍炙人口的场面。贯一不在时,阿宫和母亲去了热海。贯一从阿宫父亲那儿听说,待他大学毕业后将送他出国深造,作为交换条件,要贯一解除与阿宫的婚约,同意阿宫嫁给富山。贯一听后大吃一惊,继而苦恼万分。为了知道阿宫的真心,他追到热海,两人漫步海岸,交谈中贯一发现阿宫果然变心,他怒不可遏。引用文是贯一流泪斥责阿宫的场面。这部作品的叙述部分采用文语,会话部分则是口语,这种文白相间的文本在本作品中得到了成功的运用。

[2]あはれ奸婦:可怜的奸妇。这儿描写贯一对阿宫背叛两人之间的爱情的深恶痛绝的心境,在痛斥了阿宫之后,贯一又咒骂她是“奸妇”,然后离她而去。

[3]腹も立たう:相当于“腹も立つだろう”,表示推量。ft

【作者简介】

ざきこうよう(1868—1903)原名尾崎德太郎。1885年与山田美妙等人创立“砚友社”,并发行《我乐多文库》,这是日本近代文学史上第一本纯文学同人杂志。红叶对创作事业不仅抱有热情,而且一丝不苟,曾深入地研究过井原西鹤的作品,在文体和构思方面受其影响,是明治20年代至30年代中期日本最有声望的作家。泉镜花、德田秋声、小栗风叶等不少著名作家都出自他的门下。红叶的主要作品还有《两个比丘尼爱情忏悔》《伽罗枕》《两个老婆》《三个妻子》等。因患胃癌病故,临终前他还念念不忘抓紧时间提高自己的文学水平。《金色夜叉》的续本有几种,其中以小栗风叶的最为有名。

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