五、仏五左衛門
卅日[1]、日光山の梺[2]に泊る。あるじの云けるやう「我名を仏五左衛門と云。万、正直を旨とする故に、人かくは申侍まま、一夜の草の枕も、打解けて休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食巡礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとどめてみるに、唯無智無分別にして、正直偏固の者也。剛毅木訥の仁[3]に近きたぐひ、気稟の清質最も尊ぶべし。
注释:
[1]元禄二年三月为小月,只有二十九天,无三十日。据《曾良旅日记》载,应为四月一日。
[2]据《曾良旅日记》载,四月一日午后游览日光后,宿上钵石町的五左卫门客栈。
[3]语出《论语·子路》“刚毅木讷,近仁”。